〜 三原市、尾道市、福山市、府中市、
世羅町、神石高原町、笠岡市、井原市での
看護学校・就職・再就職・復職までが分かる 〜

先輩看護師の声
〜病院で働く魅力〜

先輩たちから
メッセージ

丸山 李緒さん

公立世羅中央病院 
地域包括ケア病棟

看護師

丸山 李緒さん
(2022年11月 取材)

広島県立三次高校・
三次看護専門学校 出身

両親から看護の仕事のやりがいを聞く
両親から看護の仕事の
やりがいを聞く
 小学校の時に親の仕事を調べる宿題があり、私は両親とも看護師で、「しんどいけれど、ありがとうと言ってもらえるとやりがいを感じる」と言われ、看護の仕事に興味を持ちました。中学生の時には職場体験で病院に行き、患者さんとふれあう機会が持てて、看護師になろうと決めました。けれども、高校の時に体験学習で行った病院では、病院で亡くなられる高齢の患者さんが多く、自分は続けられるのだろうかと悩みました。でも、やりがいが大きく、達成感のある仕事だと両親に励まされ、父の母校、三次看護専門学校に進学しました。
  私が入学した頃から新型コロナウイルスが流行して実習が行えず、友だちと息抜きをすることもできない状況が続きました。ようやく行えた実習では難しい疾患をかかえ、本人も投げやりになっている患者さんを担当しました。不安を解消するには思いをしっかり聞くことが一番で、時間が許す限りそばにいてあげることが大事なのだと知ることができました。
患者さんの変化を
すぐに察知できる判断力が必要
 卒業後は、子どもの頃からよく診てもらっていた当院に就職しました。現在は病棟勤務で、担当する患者さんの血圧等、バイタルサインの情報収集、体調のチェック、食事の管理やおしめ交換などを行っています。また、地域包括ケア病棟で、患者さんが退院しても自宅で安心して暮らすことができるよう、日常生活やリハビリ等のお手伝いもしています。
 患者さんの変化をすぐに察知できる判断力が必要な仕事なので、しっかり経験をつけていかなければいけないと思います。両親が言っていたように、患者さんに「ありがとう」と言ってもらえるととてもうれしく、この仕事を選んでよかったと思いますね。
患者さんの変化をすぐに察知できる判断力が必要
やさしい口調とタッチングをするよう心がける

やさしい口調と
タッチングをするよう心がける
 世羅町のお薦めの場所はせらワイナリー。レストランの料理がとてもおいしいです。やさしい人が多く、暮らしやすいところだと思います。看護学生時代は一人暮らしをしていたのですが、コロナで人と会えないこともあって寂しい思いをしました。患者さんはもっと寂しく、不安を抱えておられると思うので、自分が接することで安心してもらえるよう、どんなに忙しくてもやさしい口調で話し、タッチングをするよう心がけています。
 看護学校での勉強はつらいことも多く、「自分は向いているの?」と悩むこともあるでしょうが、毎日一つでもいいことがあれば続けてよかったと思えます。看護の道を選んだなら、仲間で助け合って乗り越えて欲しいですね。
川﨑 謙二郎さん

神石高原町立病院

看護師

川﨑 謙二郎さん
(2022年11月 取材)

広島県立三次高校・
三次看護専門学校 出身

周囲に看護師が多く、頼りになるイメージでした
周囲に看護師が多く、
頼りになるイメージでした
 母など、子どもの頃から周りに看護師が多かったのですが、一番印象に残っているのが、小学生の頃に入っていたサッカーチームのコーチです。選手が怪我をした時、すぐにしっかり対応してもらって、頼りになる人だなと思いました。
 高校まではサッカー選手を目指していたのですが、進路を見直すことになった時、一番に思い浮かんだのが看護師でした。母に相談したところ、「あなたは人にやさしい性格なので、看護師にあっている」と言ってもらったので、三次看護専門学校で学ぶことを決めました。
患者さんの異変に
いち早く気づくには、
コミュニケーションが大切
 看護学校で一番大変だったのは、やはり実習です。最初は患者さんとどのように接したらいいのか、コミュニケーションの取り方が分からず、何度もくじけそうになりました。看護師になってからも、気を付けているのはコミュニケーションです。患者さんと接する時は、必ず目線を合わせて、笑顔で話すように心がけています。患者さんの異変にいち早く対処することが大切ですから、血圧等の数値に頼るだけでなく、顔色や姿勢などの小さな変化に気づけるよう、常に注意を払っています。
 私はもともと人とのコミュニケーションが得意な方ではなかったのですが、看護の仕事をしていくうちに、人と関わることが楽しくなってきました。当院は高齢の患者さんが多く、目に見えて回復するケースは少ないですが、できるだけ苦痛を感じずに過ごしていただきたいですし、「ありがとう。良い人だね」と声をかけていただけると、やりがいを感じます。
患者さんの異変にいち早く気づくには、コミュニケーションが大切
人と人が接し、やりがいの大きな看護の仕事

人と人が接し、やりがいの大きな看護の仕事
 私は三次市の出身で、当院に就職して妻の実家のある神石高原町に引っ越してきました。自然が豊かだし、地域の人がやさしく、田舎ならではの人のつながりや助け合いのある良いところだと思います。まだまだ経験が浅いので勉強しなければならないことが多いですが、患者さんに信頼、信用していただけるよう頑張っていきたいです。当院は認知症や寝たきりの患者さんが多く、褥瘡になってしまう方もおられるので、将来的には「皮膚・排せつケア認定看護師」を取得できたらと思っています。
 看護の仕事は大変なイメージがありますが、人と人とが接する仕事なのでやりがいが大きいですし、いろんなタイプの人が活躍できると思います。人のためになる仕事がしたいなら、ぜひ看護師も選択肢の中に加えてもらえたらと思います。
天野 華愛さん

笠岡市立市民病院

看護師

天野 華愛さん
(2022年11月 取材)

岡山県立笠岡高校・
帝京平成短期大学看護学科
(現・帝京平成大学看護学科) 出身

チームワークの大切さを学んだ学生時代
チームワークの大切さを
学んだ学生時代
 両親が福祉施設を運営しており、子どもの頃は遊び場にして、施設におられたおじいちゃんやおばあちゃんに可愛がってもらっていました。医療や介護の仕事が身近にあったので、進路を決める時、自然と看護の仕事を選びました。
 関東の短大に進学したのですが、宿題の量の多さ、国家試験のプレッシャー、実習の辛さと、学生生活は楽なものではありませんでした。けれども、全国から集まった仲間たちとチームを組み、実習を乗り切った時の達成感はとても大きなものがありました。患者さんを含めて、お互いの気持ちをくみ取る気づかいが生まれ、医療の現場に欠かせない協調性を育むことができました。大変だったけど、学生生活はすごく楽しかったです。
3年目に楽しさを
感じられるようになった
 看護師になった時、先輩から「看護の仕事は3年たったら楽しくなる」と言われました。1年目は一生懸命なだけ、2年目で考えられるようになり、3年目に自分なりの看護が実行できるようになって、楽しさが感じられるようになると言うのです。
 私の場合は手術を担当して3年目の時にそれを感じました。手術に看護はあまり関係ないと思われるかもしれませんが、手術の準備、手術中の介助、手術後の片づけ、手術前は患者さんの気持ちに寄り添い、手術中は患者さんの変化を見逃さないことなど、しなければいけないことはたくさんあります。それが先読みをして動けるようになり、安全に配慮しながら1秒でも早く終わらせることができるようになると、やりがいや看護の楽しさを感じられるようになりました。
3年目に楽しさを感じられるようになった
一つひとつ着実に前に進むことができる仕事

一つひとつ着実に
前に進むことができる仕事
 今では私も先輩がされていたように、チームを引っ張っていかなければならない年代になりました。人間関係のプレッシャーを与えることなく、みんながチームワークよく、切磋琢磨していけるような環境作りを心掛けています。今の若い人は良く勉強していて、コミュニケーションの取り方もきちんとしている人が多いですね。
 看護は一見しんどい仕事のように思えますが、その分患者さんや同僚、先輩の暖かさにふれる機会が多く、壁に当たっても一つひとつ乗り越えていくことができる仕事です。どんなことでも時間をかければ自分の経験になり、着実に成長していくことができますし、私生活でも役に立つので、看護という仕事にぜひ興味を持ってもらえたらと思います。
小澤 美香さん

興生総合病院 
産婦人科

助産師

小澤 美香さん
(2018年1月 取材)

近畿大学附属福山高校・
広島県立保健福祉短大看護学科
(現 広島県立大学保健福祉学部)・
愛媛県立医療技術短大助産学専攻科
(現 愛媛県立医療技術大学保健科学部) 出身

新しい命を取り上げる喜び
新しい命を取り上げる喜び
 高校の頃、生物の勉強が好きで何か命に関わる仕事がしたいと思い、家族の勧めもあって看護短大に進学しました。
 短大の授業で、妊娠期、出産期、育児期と女性のライフステージをサポートする助産師の仕事に興味を持ち、専攻科で助産学を学ぶことにしました。専攻科の実習では、入院から帰宅まで、10人の方のお産を担当します。非常に緊張しましたが、初めて自分の手の中で新しい命を取り上げた時はうれしかったですね。働き始めると一人の方の出産に最初から最後までじっくり向き合うことは少ないので、この実習はとても意義のあるものでした。
アドバイスも重要な仕事
 母子の状態のチェック、お母さんの授乳介助、赤ちゃんの 沐浴 もくよく などが一日の仕事です。分娩の時は、常にそばにいて介助します。
 また、お母さんへのアドバイスも重要な仕事で、退院した方にも電話でアドバイスします。
 妊娠、出産にあたって家族にも相談しにくいこともあり、私に話して心の整理が出来たと言ってもらえたり、アドバイスを聞いて、育児を頑張れそうだと言ってもらえたりした時はやりがいを感じますね。看護学校で実習指導をすることもあるのですが「小澤さんの姿を見て、助産師をめざそうと思った」と言われた時もうれしかったです。
※ 沐浴:感染症などの心配のないベビーバスに赤ちゃんを浸け、体を洗うこと。
アドバイスも重要な仕事
女性をトータルにケアする

三原神明市

女性をトータルにケアする
 私は30代で出産したのですが、現実と理想とは違い、今まで患者さんに高い目標を与え過ぎていたのではないかと反省しました。また、病院でのお産は人生の一部でしかないので、患者さんの社会的な背景や生き方をしっかり把握し、退院してからのことも考えながら、トータルにケアをしていかなければならないんだと痛感しました。出産して、後輩にも優しくなれたと思います。
 三原市は、三原やっさ祭りや三原神明市など、楽しいお祭りが多い素敵なまちです。自然も豊かで、病院のすぐ前には瀬戸内海が広がります。そんな環境にある病院の中でも産婦人科は、特に穏やかに時間が過ぎていく場所です。安心して出産できる緩やかな状況を作ることを心がけていきたいですね。

三原神明市

高橋 英樹さん

因島総合病院 
一般病棟

看護師

高橋 英樹さん
(2017年12月 取材)

広島県立尾道商業高校・
福山平成大学・
尾道市医師会看護専門学校 出身

28歳で夢と第二の青春を見つける
28歳で夢と第二の青春を
見つける
 大学卒業後、販売の仕事をしていて、やりがいも感じていたのですが、不況で店が閉店してしまいました。何か資格を取って、人の手助けができる安定した仕事に就きたいと思い、看護師をしている母の勧めもあって、28歳の時に看護学校に入学しました。午前中は病院でアルバイトしながら、午後に学校に通っていたので忙しかったですが、自分より10歳ほど若い仲間たちと一緒に学んで、青春をやり直したような充実した日々を送ることができました。
看護のスタートラインに
立てた瞬間
 患者さんの病態に合わせて、どういう看護が必要かを考えていくのが私たちの仕事です。就職して最初に担当した患者さんは、気むずかしい方で、最初に病室に入った時「出ていって欲しい」と言われました。それでも、その方が何を欲しているのかをしっかり考えながら、必要な看護を着実にこなしていきました。すると、二週間たって退院される時に「ありがとう。家に帰ってからも、頑張って治療を続けていきます」と言ってもらえたんです。自分の看護の仕方は間違っていなかったとうれしかったですし、これで看護の仕事のスタートラインに立てたと思ったのを覚えています。
看護のスタートラインに立てた瞬間
患者さんの人生に寄り添った看護を

しまなみ海道

患者さんの人生に
寄り添った看護を
 この病院は、地元に根付いた地域包括医療を行っています。高齢な患者さんの場合、退院後も病気とのつきあいが続くことが多く、地域や家庭でのサポートが必要になってきます。ご自宅を訪問して、入院時には見られなかったような笑顔に接することができると、やりがいを感じますね。
 スキルアップして訪問看護の認定看護師の資格を取り、より患者さんの人生に寄り添った看護を行えるようになることが目標です。
 因島は穏やかな瀬戸内海に面した、とても良い環境です。私も時間を作って、しまなみ海道でサイクリングを楽しみたいと思っています。
※ 地域包括医療:住民(特に高齢者)が住みなれた場所で、安心して暮らしていけるよう、医療の仕組みを整えること。※ 訪問看護:病気や障害を持った人が住み慣れた地域やご家庭で、その人らしく療養生活を送れるように、看護師等が生活の場へ訪問し、看護ケアを提供し、自立への援助を促進させ、療養生活を支援するサービス。※ 認定看護師:特定の看護分野において、優れた技術と知識を持った看護師であることを認定する制度。

しまなみ海道

小川 紗季さん

福山市民病院 
集中治療室

看護師

小川 紗季さん
(2018年1月 取材)

広島県立福山誠之館高校・
広島文化学園大学看護学科 出身

生物は看護の勉強の基礎になります
生物は看護の勉強の
基礎になります
 母親が看護師をしていて、仕事に家庭に頑張っている姿を見て、幼い頃から憧れていました。そのため、高校に入って将来の志望を決めなければいけなくなった時、悩むことなく看護師を選びました。
 人間の体に関する興味深い授業が多く、大学での勉強は、充実したものでした。
 看護の勉強の基礎になるので、高校時代に生物の勉強はしっかりしていた方が良いと思いますね。
集中治療室
チームワークの大切さを実感
 現在は、集中治療室の看護を担当しています。大きな手術をした後の患者さんや、一般病棟にいて容体が悪くなった患者さんの集中管理を行う責任の大きな仕事です。中には人工呼吸器を離せない方もおり、小さなうなずきなどでコミュニケーションを取らなければならない場合もあります。
 小さなミスが生命に関わるので、先輩の看護師や医師との助け合いの大切さを日々実感しています。
 それだけに、患者さんの容体が安定して、一般病棟に移っていかれた時はうれしいですね。※ 集中治療室:重症患者を収容して、医師・看護師のチームによる集中した治療を行うための病室。英語でICU(intensive care unit)という。※ 病棟:病院内の病室の並んだ建物。がん病棟、精神病棟など、病気や症状ごとに分かれている場合が多い。※ 一般病棟:整形外科、外科、内科などの治療、回復を目的とした病棟。※ 人工呼吸器:長時間に渡って、患者の肺に空気または酸素を送って呼吸を助けるための装置。英語でレスピレーター(respirator)という。
集中治療室でチームワークの大切さを実感
集中ケア認定看護師が目標

鞆の浦

集中ケア認定看護師が目標
 福山市は、山や海、川に恵まれた住みやすいところだと思います。鞆の浦は古い街並みが素敵だし、お洒落なカフェもあるので良く遊びに行きますね。夏場は、備後圏域の府中市や井原市の川原でバーベキューを楽しんだりしています。
 看護師は産休と育休がきちんと取れる仕事で、子どもを預けて働けるよう福山市民病院には院内保育所も設けてあります。
 もっとスキルアップして集中ケアに関する認定看護師の資格を取得し、結婚後も福山市で働いていきたいですね。※ 集中ケア認定看護師:重症かつ集中治療を必要とする患者の看護に関して、優れた技術や知識を持つと認定された看護師。※ 院内保育所:病院職員の子供を対象に、病院内または隣接した場所に設置された保育施設。

鞆の浦

西永 隆治さん

公立世羅中央病院 
外科病棟

看護師

西永 隆治さん
(2017年12月 取材)

広島県世羅高校・
尾道市医師会看護専門学校 出身

自分を成長させてくれた看護実習
自分を成長させてくれた看護実習
 地元の世羅町に残って、この先家族を持っても安定して働くことができ、地域に貢献できる職種は何かと考えて、看護の仕事を選びました。働きながら学べるので、医師会看護専門学校を選び、尾道市の病院で看護助手をしながら通いました。
 働きながら学ぶのは大変でしたが、看護実習などを通して、看護計画の立て方、アセスメントのやり方などを実践的に学び、成長することができました。※ 看護助手:看護師のサポートをする仕事。※ アセスメント:患者の様子や客観的なデータをもとに、今後どのようなケアをしていけばいいのか理論的に分析していくこと。
看護の基本はコミュニケーション
 体の不調で心も弱っている患者さんに少しでも安心感を持ってもらえるよう、コミュニケーションには気をつけています。しんどい時に明るく振る舞われても困るでしょうし、その方の病態や性格を考え、自分がどう元気づけたら良いのかを常に考えて行動する必要があります。入院が長くなると季節感が分からなくなってくるので「肌寒くなってきましたね」と語りかけるなど、出来るだけ話しやすい関係を築けるよう努力しています。
看護の基本はコミュニケーション
ふるさとに恩返しがしたい

世羅高原農場

ふるさとに恩返しがしたい
 世羅町で育ててもらったので、ふるさとに少しでも恩返しをしたいというのが、看護師になった理由の一つでした。
 春や夏は花を見に行ったり、秋はマツタケ取りに行ったり、世羅町は家族で過ごすには良いところですね。ショッピングは福山でできるし、カープの観戦にも車で気軽に行けます。
 現在は外科病棟の担当ですが、とりあえずすべての部署を経験し、その上で得意分野の認定看護師資格を取得し、スペシャリストとして活躍していけたらと思っています。※ 病棟:病院内の病室の並んだ建物。がん病棟、精神病棟など、病気や症状ごとに分かれている場合が多い。※ 認定看護師資格:特定の看護分野において、熟練した技術と知識を持った看護師であることを認定する制度。

世羅高原農場

平野 梨菜さん

笠岡市立市民病院 
地域包括ケア病棟

看護師

平野 梨菜さん
(2017年12月 取材)

広島市立舟入高校・
日本赤十字広島看護大学 出身

充実していた看護大学生時代
充実していた看護大学生時代
 手に職を持った、やりがいのある仕事がしたくて、看護大学に入学しました。将来に直結した興味ある分野の勉強なので、大学の講義は楽しかったですね。病院での実習など、忙しい時もありますが、大学祭の実行委員を務めたり、サークル活動を楽しんだりと、学生生活をエンジョイすることもできました。大学では、地域の医療に関わる保健師の資格も取得することができました。
 卒業後は広島市にある広島赤十字・原爆病院のがん手術の病棟で看護をしていたのですが、結婚して笠岡市に転居したため、一昨年末からこの病院に勤務しています。※ 病棟:病院内の病室の並んだ建物。がん病棟、精神病棟など、病気や症状ごとに分かれている場合が多い。
患者さんの生活に心地よい刺激を
 現在は地域包括ケア病棟で、患者さんが退院して自宅に帰るまでのお手伝いをしていますが、高齢者が多いため、入院が長引く方が少なくありません。寝たきりから認知症にならないよう、たくさん話しかけ、部屋を出てみんなとご飯を食べたり、景色を見て楽しんだり、遊んだりして、生活に少しでも刺激を与えることができるよう心がけています。食べることもできなかった患者さんが元気になったり、ベッドから動けなかった患者さんが歩けるようになったりすると、本当にうれしいですね。※ 地域包括ケア:高齢者が人生の最期まで住み慣れた地域で自分らしい暮らしを続けるために必要な支援体制。
患者さんの生活に心地よい刺激を
穏やかな環境で、ゆとりある看護を

道の駅笠岡ベイファーム

穏やかな環境で、
ゆとりある看護を
 看護職は求人が多いので、結婚や転勤などで引っ越すことになっても、すぐに仕事を見つけることができます。
 笠岡市は、ゆったりした時間が流れる住みやすいまちで、休日には海釣りや野菜作りなどを楽しんでいます。季節の花々が美しい「道の駅ベイファーム」がお気に入りです。
 こうした環境の中、いつも優しい笑顔を忘れず、患者さん一人ひとりにしっかりと向き合う、ゆとりのある看護を心がけていきたいですね。

道の駅笠岡ベイファーム